【歴史】中世の世界史後編(宗教改革から大航海時代まで)
キリスト教がローマ帝国で広がり、そしてイスラム教との宗教戦争に負けたヨーロッパでは、古代の文化を復興しようとするルネサンスがおこりました。
それと近い時期にキリスト教のあり方に対して異を唱える者が現れます。
今回は、宗教改革から大航海時代、そして日本への襲来について解説していきます。
宗教改革
キリスト教の支配力が衰退したヨーロッパでは、ルネサンスという「古代ギリシア・ローマの自由で人間らしい生活・文化の復興」の潮流がありました。それと同時に、聖書の研究も進んだことで、キリスト教自体ももう一度本来の姿に戻していこうという流れが生まれていきました。
ところで、カトリック教会は免罪符という紙きれを販売していました。これはどういうものかというと、「これを買った者は犯した罰が減らされる」というものでした。
この罰とは何かというと、例えば、「人を殺す」という罪を犯したときに、これを聖職者に告白すると「○○という罰を受けなければならない」と告げられます。この罰を残したまま死ぬと、死んだ先で煉獄(地獄の前段階)が待っている、とカトリック教会は教えていました。なので、罰をお金を払って減らせるならば楽なことだ、と考えて買う人がいたのです。
ちなみに、煉獄などというのは聖書に書いてありません。
戦争などでキリスト教の人々がたびたび人を殺すこととなったので、カトリック教会もこれを販売して罰を減らすという救済策に出たのです。しかし、段々と免罪符で手に入るお金に目をくらませ、頻繁に発売することになります。
ちなみに、免罪符も聖書に書かれているものではなく、当然カトリック教会独自のものでした。
これに異を唱えたのがルターという人でした。
ルターは聖書をよく読んでいた人だったので、「聖書には信仰することで救われると書いてあるのに、お金を使えば救われるというのはおかしい!」と気づき、これをカトリック教会に対して抗議しました。
その結果、カトリック教会から追い出されることとなります。
そして、ルターはプロテスタントという新しい宗派を作り、ドイツを中心に広めはじめました
一方で、カトリック教会も、教会を立て直すためにイエズス会を結成し、ヨーロッパ以外の地域での布教をするようになります。
フランシスコ・ザビエル
フランシスコ・ザビエルは16世紀にイエズス会で活動していた宣教師です。日本にキリスト教(カトリック)を宣教しに来た人として、日本で最も有名な歴史上の外国人の一人です。
彼が来たのは戦国時代真っ只中であり、九州を中心にキリスト教は広まっていきました。その中でキリシタン大名と呼ばれる、キリスト教信者となった戦国大名が生まれだすほどに勢力を拡大していたことから、戦国末期の大名たちはその影響を恐れ、政策で禁止するものもあらわれるようになりました。(詳しくは戦国時代の解説ページで説明します!)
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大航海時代
話の舞台をヨーロッパに戻しましょう。
ヨーロッパの人々(主に貴族の方々)は肉や調味料を食べる際にインドの香辛料が必要であったり、絹織物といったものに興味があり求めていました。それを陸路で手に入れるためにはアジアからヨーロッパにかけて多くの商人を介さなければなりませんでした。関わる人が増える分だけ値段も高くなるので、本当にお金を持っている人しか香辛料にありつくことが出来ませんでした。
これを解決するためには、海から行くしかない!と考えたのです。
都合のいいことに、このころには羅針盤がイスラム世界より伝わってきており、正確な方位で船を進めることが出来るようになっていました。また、船舶の建造技術も向上していたことから、技術的には航海可能なレベルに達していたのです。
このようにして、ヨーロッパの国々は海からインドを目指すようになりました。
西に向かってインドを目指した、コロンブス
まず、歴史的な快挙を成し遂げたのは、コロンブスという人でした。コロンブスはスペインの船で西方面に向けて進み、インドを目指しました。
少し不思議に思いませんか。皆さんがよく見る世界地図を思い出してみると、インドはスペインの東にありますよね。当時もインドは陸路で東にある場所と知られていました。なぜ分かっていながら西へ向かったのかというと、球体説を信じていて、西に行っても東に行ってもインドにたどり着けるだろう、という考えがあったからのようです。
そのようにして航海をした結果、たどり着いた島を”インドである”としましたが、後にここはインドではないと分かりました。現在その場所は西インド諸島と呼ばれています。
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インドにたどり着いた、バスコ=ダ=ガマ
実際にインドにたどり着くことが出来たのは、バスコ=ダ=ガマと呼ばれるポルトガルの航海者でした。
彼はその数年前に発見された喜望峰(アフリカ最南端にある半島)を経由し、ついにインドへたどり着くことに成功しました。これによってポルトガルはインドへの航海ルートを開拓することに成功し、交易を始めるようになります。
世界一周を成し遂げた艦隊のトップ、マゼラン
もうひとつ、初の世界一周を先導したとして有名な人にマゼランがいます。彼はスペイン王に命ぜられて、西回りで世界一周を目指しました。彼は途中で立ち寄ったフィリピンで殺されたため、本人が世界一周を成し遂げることはできませんでしたが、その船団は最終的にスペインに戻ることができ、世界一周が可能であることを示しました。
彼の功績は彼が発見した南米大陸南端のマゼラン海峡という名前に残されています。