日本経済の父!新一万円札に選ばれた「渋沢栄一」について詳しく解説!

日本経済の父!新一万円札に選ばれた「渋沢栄一」について詳しく解説!

2024年7月、新しいデザインのお札が発行されました。新一万円札の顔として抜擢されたのは、江戸時代末期から昭和初期に活躍した実業家、渋沢栄一という人物です。
では、渋沢栄一とは、一体何をした人物なのでしょうか。本記事では、渋沢栄一の人物像、具体的な活躍について解説していきます。

目次

渋沢栄一の生い立ち

渋沢栄一の誕生

渋沢栄一は1840年、現在の埼玉県越谷市で生まれました。
実家は畑業や養蚕業、藍玉の製造、販売を行う農家で、渋沢栄一も幼少期から家業の手伝いをしていました。勉学意欲も高く、教育熱心な父親からは学問を、母親からは慈悲の心を、従兄弟の尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)からは四書五経※を学び、商才を磨いていきました。

四書五経 とは

儒教(中国、孔子の教え)の中で、特に重要とされるものの総称。四書は「論語・大学・中庸・孟子」の四つの書物を、五経は「易経・詩経・書経・礼記・春秋」の五つを指す。渋沢栄一は特に「論語」の教えを重んじていた。

渋沢栄一とパリ万国博覧会

江戸時代末期には武士の力が衰え、尊皇攘夷運動(そんのうじょういうんどう)※と呼ばれる運動が盛んになりました。
渋沢栄一はこの尊王攘夷運動の考え方に共感し、従兄弟の渋沢喜作と共に生家を出ます。その後、第十五代将軍となる徳川慶喜に仕えることとなりました。
1867年、渋沢栄一に転機が訪れます。徳川昭武(慶喜の異母弟)と共にパリ万国博覧会に出席することになった渋沢栄一は、ここで日本とは全く異なるヨーロッパの最新技術や資本主義社会のシステムを目の当たりにします。自国の技術の遅れを実感した彼は、それらを学び帰国します。

渋沢栄一のパリ滞在中、徳川慶喜は大政奉還を行いました。パリから帰国した栄一は、徳川慶喜と面会し、「これからは、お前の道を行きなさい」とアドバイスを受け、自分の道を生きることを決意したのでした。

尊王攘夷運動 とは

天皇を奉り、外国人を追い出す運動のこと。
江戸時代末期、黒船来航の後に開国を余儀なくされた日本の体制を再び天皇攘夷とし、外国人は日本に入れないようにしよう、という考え方。

大政奉還 とは

政権を幕府(徳川慶喜)から朝廷(天皇)に返すこと。

\小・中・高校生の勉強にお悩みのあるお子さん・保護者様へ/

家庭教師のやる気アシストなら最短0日で家庭教師を体験!無料の体験授業を実施中です!

\小・中・高校生の勉強にお悩みのある方へ/

家庭教師のやる気アシストなら最短0日で家庭教師を体験!無料の体験授業を実施中です!

渋沢栄一が「実業界の父」と呼ばれるまで

渋沢栄一は、「資本主義の父」「実業界の父」の異名を持ち、約500社もの企業の設立や運営に関わったとされる人物です。彼が関わった企業には、現在でも存在する会社もたくさんあります。ここからは、パリ万国博覧会後の渋沢栄一の活躍について掘り下げていきましょう。

日本の銀行を設立

パリから帰国後、静岡県に「商法会所」を設立し、本格的に実業家としての活動をスタートさせました。その後、民部省(現在の財務省)へ入省しましたが、予算編成について大久保利通や大隈重信と対立したことにより、民部省を退省します。
民部省を退省後、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の設立に力を注ぎ、日本初の銀行券(紙幣)を発行しました。その後も次々と会社の設立に関わります。関わった企業の一例として、東京ガス、東京海上日動火災保険、王子ホールディングスなど、誰もが一度は聞いたことのある企業ばかりです。

女性の教育をサポート

また、明治から昭和の時代は、女性の学校教育レベルの低さも問題視されていました。渋沢栄一はそこに着目し、女性の高等教育にも力を注ぐために、東京女学院の設立と日本女子大学設立の支援も行いました。
そして、パリの凱旋門広場をモデルとした街造りにも力を注ぎます。その場所は、東京都大田区にある田園調布で、彼が設立に関わった田園都市株式会社(現在の東急電鉄・東急不動産の元になった会社)によって、開発が進みました。

社会貢献活動にも力を入れる

母親譲りの優しさを持つ渋沢栄一は、生活に困った人のための施設である養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の運営にも携わります。養育院は家がない人や持病を抱えている人、孤児をケアするための施設で、約50年院長を勤め続けたと言われています。
ほかにも、博愛社(現在の日本赤十字社)、東京慈恵医院(現在の東京慈恵会)、癌研究会(現在のがん研究会有明病院)の設立にも関わり、役職を歴任します。

70歳を迎えた栄一は、実業界からの引退を表明します。しかし、全ての事業からの引退ではありませんでした。ここからは、社会事業や民間外交を重ねます。また、1923年に発生した関東大震災の際は、自ら被災地支援のために食料を取り寄せたり、配給を行いました。支援金集めにも力を注ぎ、交流があったアメリカの実業家から、たくさんの支援金を集めることができました。

\小・中・高校生の勉強にお悩みのあるお子さん・保護者様へ/

家庭教師のやる気アシストでは無料のパンフレットをご用意しています!資料請求はこちらから

\小・中・高校生の勉強にお悩みのある方へ/

家庭教師のやる気アシストでは無料のパンフレットをご用意しています!資料請求はこちらから

まとめ

日本が経済大国の一つとして挙げられるようになったのは、渋沢栄一が近代化と経済発展に大きく貢献したから、と言ってもいいかもしれません。人々の暮らしを良くするために、社会貢献と経済活動を両立させた彼のその姿勢は、学べる部分も多くあると思います。

新一万円札の顔になることで、彼のビジネスにおける考え方が再び注目されています。渋沢栄一の人生は、これからの時代を生きる私たちにとって、きっと沢山の助言となることでしょう。

いかがでしたか?
今回は、渋沢栄一の人物像と活躍について紹介してきました。新一万円札を見かけた際は、渋沢栄一が未来の私たちに引き継いだ思想について、是非思いを巡らせてみて下さい。

この記事を書いた人
趣味:お城巡り

学習アドバイザー 広田

関西大学大学院を卒業後、小6・中3・高3の受験生を主に指導をしてきました。学生の悩み相談を受けているうちに勉強に悩む子を救ってあげたいという気持ちが強まり学習アドバイザーとなりました。勉強に悩む保護者さまやお子さんにお役に立てる記事を配信していければと思います。
Instagram・ⅹなどでも情報発信中ですので、ぜひフォローください!

関連記事

勉強に関するお悩みを持つお子さんへ 「頑張っているのに成績が上がらない」「苦手科目の勉強に苦戦している」「独学での勉強に限界を感じてる」 そんなお子さんほど、お役に立てる自信があります。まずはお気軽に体験授業をお試しください。
勉強に関するお悩みを持つお子さんへ 「頑張っているのに成績が上がらない」「苦手科目の勉強に苦戦している」「独学での勉強に限界を感じてる」 そんなお子さんほど、お役に立てる自信があります。まずはお気軽に体験授業をお試しください。
目次