【歴史】全体主義から第二次世界大戦へ ~後編~

こちらの記事では、「全体主義から第二次世界大戦へ」の時代の流れについて解説していきます。
前編・後編で分けて説明しており、こちらは後編の記事となります。
前編をご覧になってからのほうが、理解が深まるので、先にお読みすることをお勧めします!
 前編はこちら!【全体主義から第二次世界大戦へ ~前編~】

後編では、第二次世界大戦を中心に、終戦まで解説いたします。
テスト頻出範囲です!
また、一般教養としてもしっかり理解しておきましょう!

目次

第二次世界大戦①:ヨーロッパ開戦

歴史上最大の第二次世界大戦が起こります。

第二次世界大戦

世界の61か国、1億人以上が軍隊に動員された歴史上最大の戦争
1兆ドル以上の軍事費が使われ、民間人の死者は約5500万人に達した

では、どのようにして第二次世界大戦は始まったのでしょうか。
順番に見ていきましょう。
スタートはヨーロッパです。

ヨーロッパ戦線

1938年3月 ドイツがオーストリアを併合
1939年3月 ドイツがチェコスロバキアを占領(英仏はドイツの行動を承認)
1939年4月 イタリアがアルバニアに侵攻
1939年8月 独ソ不可侵条約

1939年9月 ドイツがポーランドに侵攻し、英仏に宣戦布告
=第二次世界大戦の始まり

1940年  ノルウェー、デンマーク、ベルギー、オランダなどを占領する。フランスも降伏。

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第二次世界大戦②:太平洋戦争

ヨーロッパの次は、アジアを見ていきましょう。
前編で、日中戦争が勃発したところまで説明しましたね。
その続きです。

日中戦争の長期化

中国軍の補給路を断ち、資源を獲得するために、東南アジア

1940年 フランス領インドシナ北部に侵攻
1940年 日独伊三国同盟(英米に対抗するため)

1941年 日ソ中立条約
1941年 フランス領インドシナ南部に侵攻
→米はABCDラインによる日本の経済封鎖
東条英機内閣が成立、米との平和交渉を行うが失敗

中国の支配を維持したまま、どうにかアメリカとの戦争を避けられないかと日本は尽力します。
しかし、上記のように、アメリカはその交渉を断ります。
そして、日本はアメリカとの戦争を決断し、奇襲をします。
それが有名な真珠湾攻撃であり、太平洋戦争の始まりです。
これが第二次世界大戦のなかのアジアの戦争です。

アジア・太平洋戦線

1941年12月8日 ハワイ真珠湾、イギリス領マレー半島を攻撃
太平洋戦争の始まり
独伊も米に宣戦布告

フィリピン、マレー半島、オランダ領東インドを占領し、大東亜共栄圏の建設を打ち出す

  • 占領地域での資源や農作物の徴発
  • 日本語の強制や姓名の日本化などの皇民化政策

真珠湾攻撃は成功し、日本は優勢でした。 
つまり、枢軸国が優勢でした。
しかし、先に結果をお伝えすると、最終的には第二次世界大戦の勝者は、連合国側(アメリカ・イギリス・フランスなど)です。
ではどのように形成が逆転して終戦となったのか、見ていきましょう。

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第二次世界大戦③:終戦へ

では終戦への流れを見ていきましょう。
まずは、ヨーロッパからです。

ヨーロッパ戦線

1941年 ドイツがソ連へ侵攻
1942年 スターリングラードの戦い
1943年 ドイツ軍がソ連軍に敗れる
1943年 北アフリカ戦線で敗れたイタリアが降伏
1944年 連合粉がノルマンディー(フランス)に上陸
1944年 パリ解放
1945年 ドイツが無条件降伏

ドイツがソ連に侵攻したことをきっかけに、枢軸国は劣勢となり、最終的に降伏しました。
このようにしてヨーロッパ戦線は、連合国側の勝利となり、枢軸国は敗れました。

では次に、アジアを見ていきます。

アジア・太平洋戦線

1942年 ミッドウェー海戦に敗れ、太平洋上の拠点を失う
→日本本土への空襲が激しくなる

1945年3月 東京大空襲
1945年6月 沖縄戦
1945年7月 米英ソがベルリン郊外のポツダムで会談、日本に無条件降伏を求める(ポツダム宣言
1945年8月 6日に広島、9日に長崎原子爆弾が落とされる
1945年8月 8日にソ連が参戦→14日にポツダム宣言を受け入れる
1945年8月 15日に天皇がラジオ放送で終戦を発表。

日本がポツダム宣言を受け入れるきっかけは、原子爆弾です。
それほどまでに被害の大きい武器で、今まで使われているものとは大きく異なりました。
その被害を受け、日本はポツダム宣言を受け入れる決心をして終戦を迎えました。
天皇が終戦を国民に発表した8月15日は終戦記念日です。

このようにアジア・太平洋戦線もヨーロッパ戦線と同様に、連合国側の勝利、日本を含む枢軸国側の敗退という結果になりました。
戦争が終わったからと言って、元の生活がすぐに戻ってくるわけではありません。
日本はこれから戦後の復興をしなくてはなりません。
その話については、また別の記事で解説しますね!

この記事を書いた人
趣味:カメラ

学習アドバイザー 早川

これまで学習アドバイザーとして沢山のお子さんのお悩みを解決してきました。そのノウハウや勉強のコツなどをこの記事を通して発信していきます。
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