【公民】基本的人権とその歴史
私たちはいま、日本という国で生活しています。そこで私たちは自由に生きることが出来ています。
もしかしたら「自由なんかない!」と思う人もいるかもしれません。しかし、誰もがしっかり自由を享受して生きています。
なぜなら私たちの誰もが「人権」と呼ばれる権利を有しているからです。
人権ってなに?
人権ってなに?ということですが、一言でいうと、
「人として自由に生きる権利」
のことです。
ここでいう自由という言葉の意味を広く取りすぎると、意味が通じなくなってしまうかもしれません。
もう少し詳しく説明をすると、
「生まれながらにして持っており、国の権力によって侵されることのない基本的な権利」
です。まだちょっとわかりにくいかもしれません。
この権利というのは、
- 生まれながらにして自由・平等である
- 自由に発言することが出来る
- 人種・言語・宗教・肌の色に関係なく権利が認められる
- 教育を受けられる
- 政治に参加できる
- 安全に暮らすことができる
- 人間の売買の禁止
など、これ以外にも様々ありますが、人間が行動したり、考えを持ったり、それを広げたりする為に必要で最も根本的なものです。
なので、皆さんはこう思いませんでしたか?
「こんなの当たり前じゃん!」
と。そう、私たちは今これを当たり前だと思っているのですが、これは日本でさえ数十年前まで当たり前ではなかったのです。
分かりやすい例を挙げるならば、政府や天皇に対して批判的な事を言ったり、新聞などで報道したら、捕まってしまったりしたのです。今はそんな事はありません。
では、海外の国々ではどうでしょうか?
それが、国によって結構違うのです。日本以上に人権に対して敏感な国もあれば、人権守られてる?という国も中にはあります。
そんな国の中でも、ヨーロッパの人々は人権を手に入れる為に多くの犠牲を費やしてきました。そして、日本よりも早く人権という概念を導入しています。私たちの国で保証されている人権も、ヨーロッパから伝わってきたものなんですよ。
ということで、現代の私たちがどうして人権が保証された生活を営むことが出来ているのかを知るために、ヨーロッパの人々が人権をどのように獲得していったのか、その歴史を勉強していきましょう。
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人権の歴史
この歴史は12世紀から始まります。この頃のイングランド(イギリス)で、現在の人権の考えの礎となるものが生まれ、王の権力が弱体していた頃にそれを一部王に認めさせることに成功しました。この内容をマグナ=カルタといい、王が単独で税の取り立てを決定できなくしたり、王の許可等なしに自由に交易できることを定めたり、王の独断で生命・財産を奪われないようにするといった内容など様々記されています。
当時のヨーロッパでは「王の権力は神から与えられたものだから、国民は王に絶対従わなければならない」というのが社会の基本的な考え方だったので、王が圧倒的な権利を有していました。市民の権利などあったものではありません。
もし飢饉(全土で作物が育たず、大多数の人が飢えること)が起きたとしても、王や周りの貴族は「そんな人々の飢えなど知ったこっちゃない、私たちは気にせず豪勢に食べるわ」といった感じだったのでしょう。市民を生かすも殺すも王の一命だけで容易く決められてしまったのです。
だから、このような制限が設けられたことには意義がありました。
時代は17世紀末まで進み、イギリスでは名誉革命と呼ばれる市民の革命が起こります。この革命では、権力者側が市民に「議会を開催し、そこで様々な事を決める事」を認めさせ、市民が政治に参加する権利を大幅に得ることとなりました。これを権利の章典といいます。権利の章典は、その後におこる世界各地の革命や国家建設の黎明期に導入されることとなります。
これと同時期に、ロックという人物が「市民政府ニ論」という著書の中で、間接民主主義と呼ばれる考えを説きました。これは、現在の殆どの民主国家が行っている政治体系の大元の考えです。また、政権に抵抗する権利(革命権)も説いています。要するに、「市民を政治に参加させろ!」ということです。
さらに時代は進み18世紀のフランスに移ります。
モンテスキューという人が法の精神を発表し、「権力は一か所にまとめるべきでない」という事を説きました。
また、ルソーという人が社会契約論を発表し、「市民による政治」を説きました。
このような考えが広まってまもなく、フランスでは貴族による政治を終わらせる為の市民の蜂起であるフランス革命が起こり、翌年人権宣言というものが発表されます。
この人権宣言はヨーロッパの国々が市民による社会を作るうえでの土台となる考えを示したものとなりました。ここまでの流れで自由権というものの大枠が一旦完成したと言ってもいいでしょう。
ここからさらに時代は過ぎ、20世紀初頭のドイツではワイマール憲法という憲法が発布され、そこでは社会権を保証すると明記しました。
社会権とは「教育を受ける権利」や「労働基本権」「生存権」などのことで、これらを認めたことは当時ものすごく新しい事だったのです。
なぜなら、社会権は国に対して「もっと保証しろー」と強く働きかけるものだったからです。それまでの自由権については「政治をさせろー」とか「権力を分散させろー」というものは、国が勝手に色々するなと求めたものであって、その性質が真逆でした。
これによって、国がするべきこと、するべきでないことが明確になったという意味で重要であり、実際に様々な国の憲法に影響を与えました。
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日本の人権の歴史
さて、ヨーロッパで拡大していった人権の考えは日本にも伝搬されていきました。
日本の近代において人権を明記したものは大日本帝国憲法です。この憲法では天皇が市民に対して人権を与える、という形で人権が保証されました。なので、天皇や国家を運営する人たちにとって都合の悪い事については保証されませんでした。というか、法律でその権利を制限されてしまうという内容でした。
今の根本的な人権とはちょっと異なるものだったのです。
日本が前の戦争で負けたことで憲法が変わり、日本国憲法が定められましたが、そこでようやく「生まれながらにして人権を持つ」こと、そして「法律によって制限されない」ことが明記されました。
日本の人権の歴史はヨーロッパから持ち込まれたものであり、まだ浅いものです。ただ現在はアジアの中でも最も自由が認められている国と言っても過言ではない国となりました。
そうして、現在政治について口を出すこともできるし、私たちは小・中学校に通うことを憲法で保証されているし、生活に困ったら国が救済してくれるという“当たり前”が存在しています。
人権は生まれながらにして持っている権利である
最後に確認しておきたいことは、人権は憲法などによって保証されていると言いましたが、本来生まれながらにして持っているという事です。どんな国に生まれようと、生まれた場所の法律がどうであろうと、みな同じ人権を持っているという事は忘れないようにしてください。
そして、この人権を維持するために努力し続けることも私たちに求められています。
別のページでは、人権についてより詳しく言及した「日本国憲法」について解説しますので、良かったら読んでみてくださいね!